筆者が

純粋な中学生だった頃、英語が世界言語になったのは大英帝国の過去の悪行の賜物であるから植民地主義の証である英語なぞ勉強する必要がない、と勉強をサボる怠惰な行為の自己正当化をしていた。その甲斐もあって?英語は取り返しのつかない苦手科目になって、後の大学受験等でひどいしっぺ返しを受けたのみならず、今も英語で苦労をしている。

個人的な体験はさておき、2年程前に代理で出席した部局長会議で、総長が嬉しそうに間もなく発表される大学ランキングの話をしていた。ご承知の通り、大学ランキングでは教育、産業界からの収入、研究、引用、国際性の項目があり、日本の大学はなべて最後の項目が足を引っ張っている。一方で、ランキングの上位は英語圏の大学によって独占されており、非英語圏の大学でトップを争うのはETHと東大だが、それほど高い評価を受けていない。また元英国の植民地であったシンガポール租借地であった香港の大学がかなり上位に入っている事からも、大学ランキングが国際性の項目、特に英語を使える環境にあるかがランキングで最も大事な項目になっている事が分かる。この状況下で京大も国際化を促進するために外国人教員を大量に雇用する事を決め、その一環で基研でも、新しい外国人教員を採用する事が決まった。

従来、良くも悪くも日本が言語障壁に守られて、オリジナリティを持つ研究を発信して来た独自の道を歩んで来た事は、間違いない。また、日本語を使う事が一方的に不利益をもたらす訳ではない。明治初期の先達の努力のお蔭もあって、日本語で物理のみならず科学用語を翻訳によって生み出し、科学の大衆化が可能になり、高い教育水準をもたらす事が可能になった。その結果、中国は、物理に限らず科学の専門用語を日本から逆輸入している。

少子化が進む日本が生き残っていくためには海外から優秀な若手を呼び寄せる他に手がないのも事実である。実際、外国人の友人との会話で、ほぼ毎回、海外の友人から何故、日本は海外の研究者を受け容れないのか、その他に手はないだろう、と言われる始末である。英語の重要度は十分認識している上に、言語障壁故に海外からの優秀な研究者が辺境の日本に来る事が難しいのも事実であろう。しかし、植民地主義に陥らずに何か道がある筈である。150年前に鎖国状態から、急に帝国主義の波に晒された中で、文字通り植民地になることを回避出来たのは、明治の先達が多大な努力によって日本語で発想する土壌を培ったお蔭である。現代でも同様の道を探る努力が必要であろう。日本語によるローカルコミュニティ雑誌である物性研究電子版の発刊自体も、日本人のオリジナルな発想の一助になれば幸いである。