ISCS2011

International Symposium on Complex Systems 2011 -Perspective on the legacy of Torahiko Terada- に参加した。この国際会議は寺田寅彦が播いた種が現代でどのように結実したかを知らしめる会議であるが、同時に寺田物理の後継者を自認する松下貢さんが中央大から退職する事を記念した会合でもあった。200人余の参加者と80以上のポスターで小柴ホールが溢れかえる程の盛況であった。私もオーガナイザーの一人として座長をした他、Hans Herrmann"の招聘等に関わった。

松下さんと最初に話をしたのは研究会DLAとそれに関連した現象に於いてであった。その研究会の参加者は20名程であったと思う。冒頭で松下さんがいきなり某先生と喧嘩したという話を延々として、彼の持ち時間を大幅に超過したのに面喰った。私はと言えば、M1で持ち時間50分も喋る機会が与えられて緊張しまくっていた。おそらく2日目の午後1のトークだったと記憶するが、その直前のランチでは50分も話す内容がないと顔を青くしていた。しかしあにはからんや、実際には舞い上がった私は1時間50分も喋ってしまったが、松下さんをはじめとする座長やオーガナイザーは誰もその暴走を止めなかったのが印象に残っている。

 その研究会の翌年にはPaul Meakinが参加し、彼がFereydoon Familyに私を紹介し、(松下さんの推薦もあり)1989年1月から7月迄Emory大学に滞在し、(家庭教師等の手渡しのものではない振り込みの)初給料を貰う機会があった。EmoryにはFamilyの他にTomas Vicsekがその年ずっと滞在しており、また毎週のようにFamilyが著名な研究者を世界中から呼んでいた。最も大物はMartin Kraskalだった(いつの間にか亡くなっている!合掌)と思うが、Hansもそうしたセミナーのスピーカーの一人だった。実はM1の春に高安さんの勧めもあってHansのPhys. Rep.のレビュー記事を読んだために彼を既に偉い人と思っていた。その中で英語もままならない無名の学生の話を真剣に聞いて貰い、議論して貰ったのは貴重な体験であった。このように当時フラクタルコミュニティーは若々しい活力があり、その後皆メジャーになっていった。

 その後、私はフラクタルコミュニティーから離れ、流れ流されてよく分からない現状に至る。その道を導いてくれた恩人が松下さんである。松下さんお疲れ様でした。