物性研究編集後記

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。(鴨長明方丈記

 現行の物性研究の発行が来年3月に終わるので、編集後記を書くのはこれが最後であろう。何時もは30分程で書き上げるのであるが、これで書く機会がなくなると思うと筆も湿りがちで何時もより時間がかかっている。ここで書いている事も全てうたかたのように儚く消えてしまうのだろうか。

 物性研究の紙媒体の廃止は、英文誌Progress of Theoretical
Physics(PTP)とリンクしている。云うまでもなくPTPは65年の歴史を持つ伝統のある理論物理の雑誌であり、ノーベル賞に輝いた朝永振一郎のくりこみ論文や小林・益川論文をはじめ優れた論文が発表されてきた。基研が発足して暫くは研究部と事業部が2つの部局であり、事業部の主たる業務はPTPを発刊することであった。従ってPTPを発刊し続ける事は基研所員の義務であったが、APSジャーナルが圧倒的シェアを占める昨今に僅か二十数名の所員で研究の傍らに国際競争力のある雑誌を維持し続ける事は時代錯誤であろう。従って2013年1月からはPTPは装いを改めてProgress of Theoretical and Experimental Physics(PTEP)として日本物理学会から刊行されるようになる。それだけでなくPTEPは紙媒体を廃止し、誰もがフリーで論文を読めるオープンアクセスのオンラインジャーナルとなり、更に海外の出版社がWebプラットホームを提供する予定であり、文字通りインターナショナルジャーナルに変身する。何の因果か、筆者はPTPの最後の編集長としてPTPの終刊とPTEPの立ち上げという劇的な変化に深く関わらざるを得なくなった。PTEPにとって頭が痛いのは一方でオープンアクセスジャーナルのため購読収入が入らず、他方、理論物理の雑誌の標準が投稿料無料であるという要望を聞き入れようとしているため、理論家からの投稿料収入の道も絶たれそうなことである。つまり事業を維持するに足る安定な収入源がないことである。我々は様々な秘策を考えてはいるが、現時点でそれがうまくいく保証はない。

 物性研究が今回紙媒体を廃止するのはPTPの終刊で双方に関わっている事務職員が仕事を続けられなくなったためである。また新たに発刊する電子版「物性研究」の問題もほぼPTEPのそれより鮮明である。即ち電子版は完全オープンアクセスジャーナルであり事業収入が入る可能性を完全に放棄している。従って物性研究刊行会が残す資産を食い潰したら、事業の維持は出来ない。お金の底がつきるまでに新たなパトロンが身請けをしてくれるか、或いはそのまま朽ちていくのか。

 方丈記同様、「平家物語」の冒頭の
 
祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。

というフレーズを思い出す。妙心寺東林院が娑羅双樹を愛でる人で賑合うのは6月である。