白鵬

の連勝が遂に千代の富士を越して54になった。もはや上には双葉山の69, 谷風の63、梅ヶ谷の58、太刀山の56を残すのみである。双葉山以外は大正以前であり、引き分けや預かりを含んだりするので比較対象にならないことが多いので歴代2位という言い方も可能であろう。

 千代の富士の連勝の際は病床の昭和天皇の最大関心事であったし、その後の国民栄誉賞に繋がったが、白鵬の連勝はあまり関心を呼んでいない。これは強制的に引退させられた好敵手の朝青龍の不在や、外国人力士ばかりの番付、不祥事続きの大相撲界、子供が遊びで相撲を取らなくなったことから来る一般的関心の低下もあろう。しかし双葉山でも幕の内力士の過半数が急遽脱退した春秋園事件の恩恵を被って、番付面での運の良い昇進が快進撃のもとになったことや、東の片屋の力士は西の力士と対戦しなくて良かった面、双葉山以前に無敵横綱として君臨していた玉錦大関時代に引退後5年近く経ていた春日野(元栃木山)に全日本力士選手権でひねられていたことを考えると運の良さがなければ実現しなかった記録であることは間違いない。その意味で白鵬の記録は堂々たる記録であるとして誇って良いだろう。

 過去の力士の中で最強の呼び声が高いのは56連勝の太刀山峯右衛門である。56連勝にストップをかけたのは前述の栃木山守也であるが、号外が出たのは勿論のこと、あまりの騒ぎに国技館の裏口からこっそり脱出したとかお祝儀の100円札が背中に2枚貼られた等の伝説が伝わる。太刀山は56連勝の前に西の海への1敗を挟んで43連勝しており、太刀山双葉山の連勝時に「わざと西の海に価値を譲った」と語っており、それが本当なら100連勝ということになる。中肉中背で二枚腰を身上とした双葉山に比べ太刀山は現在の力士の中に入っても遜色のない当時としてはずば抜けた大型力士(188cm,150kg)であり、その強力な突っ張りで45日(ひとつき半)と呼ばれた。おそらく全盛期の曙が太刀山にやや近いタイプであったのであろう。

 さて白鵬に戻るが昨年の年間86勝というのも考えられない記録であったが、優勝決定戦での2つの負けがあり、その割に印象が薄い。今回の連勝でも先場所は不祥事のために放映がなくいつの間にかという感もある。今場所はやや荒っぽい雑な相撲で危ない場面も多々あるので今場所後半は正念場である。しかし地力は他の力士の追随を許さず100連勝しても驚かない(或いは国民の関心を呼ばない)のも事実であろう。一体どこまで記録を伸ばすか、静かに注目しておこう。