河本敏浩

の「名ばかり大学生」を読む。題名から書かれた内容が想像できるだけに期待していなかったが、予想外の論証があり楽しめた。愛知の管理教育と校内暴力の正の相関、その教育を受けた子供が親になった世代で愛知の虐待率やいじめが高いという話や、援助交際を女子学生の四大進学率の上昇に結びつける話等は斬新で興味深い。しかし本来無関係と思われる話を結びつける論理の展開にやや強引なところがあり、論拠とした統計データの扱いに恣意的な点があると思われる。(例えば提示したデータから愛知の虐待死が多かったのは1996年だけのようだが、それを20年程前の管理教育のせいにするのは無理がある。またアメリカの大学の学費は日本より高いというのが常識なのに日本の学費が高いとしているのはおかしい。一時が万事でデータの取り扱いの信憑性は薄い)。

 この手の学力低下の議論では本書でも述べられた通り、大学側に責任転嫁するものと初等、中等教育に責任転嫁するものがあるが、本書では大学側に責任があるとしている。その主たる論拠は大学での低い中退率にあるようだが、大学教育を担っている者として厳しい教育を課して闇雲に中退率を上げることが如何に非現実的で実態を無視した暴論であるかは論をまたない。著者が否定した進学に伴うストレスが大学生に移るだけのことであるし、ドロップアウトを許容しない社会の中で大量にドロップアウトした若者を放り出すのでは社会不安を引き起こすだけである。

 このような乱暴な矛盾した議論が展開されているにも拘わらず、否それであるからこそ本書は面白い。また日本の若い世代が世界でも指折りに勉強しなくなっていることは事実であり、暴論とも思えるような荒療治でも施さないと若年層の学力崩壊によって早晩日本が破綻するのも事実であろう。