物性研究

の編集会議があって、編集後記を書けと言われたので書く。

 年と共にしがらみが多くなり、回数券で毎月2回も3回も東京へ行き、あまっさえアメリカまでも研究と関係ない用事で出張するに至って、一体何をやっているのかとため息もつきたくなる毎日である。しかしそうした雑用の中での知己の広がりから、全く思いもかけないところで思いがけない講演を頼まれたりすることはストレスの解消に役に立っている。
 最近、そうしたストレス解消の一つとして性差科学研究会という場で喋る機会を頂いた。私の講演では陸上競技の記録や小学生向けの模試の成績を調べて、世間に流布している通説の正否を確かめることや、性差がどのように現れるかを明らかにしたつもりであった。前者は今もブルーバックスとして出版されている本中に述べられている暴論、例えば「女子マラソンの記録は何れ男子マラソンの記録を抜く」というものに対するアンチテーゼだけでなく、その本のデータがそもそも信用するに値しない(有体に言えば捏造の疑いがある)ことは明らかに出来た。また、後者での模試のデータ分析で、小学生の段階で「女子は国語が得意で、男子は理数系が得意」という顕著な性差が現れていることが確認できた。面白いのはこの結果が、もう一つの講演で報告されたPISA(OECD生徒の学習到達度調査)の分析結果と必ずしも一致しなかったことである。PISAの結果では女性の方が国語の得点が高いことは有意に現れているが、理数系、特に理科では必ずしも男性優位とはなっていない。この違いは模試とPISAの問題の差異故に現れたのであろう。言うまでもないが模試はそれぞれの科目で閉じており、問題も極力曖昧なさがないように用意されている。しかしPISAの問題は数学で地図から南極大陸の面積を求めさせたり、地球気温と二酸化炭素の経年変化から温暖化について考えさせる問題等から分かる通り、問題文の読解力が重要で、かつ総合問題的であり、解答が一義的ではない点に特徴がある。性差科学研究会でこのような事実を知ったことから、マスコミが指摘するような皮相的なPISAの点数の経年変化より、むしろ世界的に要求されている学力観と入試、模試で測られている学力が必ずしも同一ではなく、また将来的にはおそらくPISAで問われる学力の方がより有効であることを考えざるを得なかった。またより大きなこととして性差という一見タブー視されていることがフランクに科学の対象として議論されるようになったことに感慨を覚えた。今後の展開を見守りたい。