しかし書きにくいことを措いても、坂田は魅力あふれる人物である。教室の忘年会で「レーニンに乾杯(マルクスだったか)」と乾杯の音頭を取ったり、文革が始まった中国に密入国を企て、強制送還されて暫く停職を喰らったりしたのも今となっては微笑ましいエピソードであろう。昭和33年の毎日新聞に出た記事に、福田信之、武田暁、そして元弟子でC中間子論を強力に推進した梅沢博臣が反論の記事を出し、その後、暫くして梅沢が東大教授の職を捨てカナダに渡ったのも科学史の一エピソードであろう。かくて科学史は難しい。