物性研究に将来はあるのか?

以下の文章は、編集委員の一人として物性研究に投稿したもの。

1. はじめに

物性研究は物性論研究時代を含めれば創刊以来60年以上の歴史を誇り、特に物性論研究の時代は物性物理の発展に非常に重要な貢献を果たしてきた。そのことは1950年代後半の物性論研究を読めば中野、久保、中島等の間の議論を通して線形応答理論がいかに成立したかを理解できることからもわかるであろう。物性研究になってからもページ制限等がないため、ユニークな講義ノート等の発表の場として確立しており、固定ファンが一定数いる貴重な雑誌となっている。

 しかしその一方で経営基盤は極めて脆い。そもそも物性論研究時代に発行所が年を経るごとに変化し、全盛期でも阪大永宮研で私的に発行していて一旦廃刊に追い込まれたことが象徴的である。現状でも毎年約50〜150万円の赤字を出していることや購読数が漸減しており予断は許さない。そして何よりProgress of Theoretical Physics(PTP)を発行している理論物理学刊行会に大きく依拠していることがより問題なのである。現状では物性研究刊行会の発行業務は、年間66万円の委託料で、理論物理学刊行会に業務委託され、理論物理学刊行会が行なっている。また事務所費等の経費もゼロとなっている。しかしこれらの経営形態はあくまでPTPが基研にあり、その刊行を刊行会が行っていることが前提になっている。仮にPTPが消滅すれば直ちに物性研究の基盤が危うくなることは自明の理であろう。以下ではPTPの発行主体である理論物理学刊行会も簡単のためにPTPと呼ぶことにしたい。

2. PTPとJPSJの統合問題

 PTPとJPSJはともに1946年に創刊され、その後もすぐれた論文を発行し続け、我が国の学術水準の向上に大きな貢献を果たしてきた。少なくとも1970年代までは両誌は互いに刺激し合いながら競争的に発展し、並立することのメリットを生かしてきたと思われる。しかしながら世界的な国際誌の厳しい競争の中で日本の中で2つの欧文誌を抱えることのメリットが見出しにくくなっているばかりか、奇妙な両誌の棲み分けが、日本全体で国際欧文誌をどのように発行していくかという戦略を考えるうえでも障害になっている。実際、両誌からこぼれ落ちた原子核素粒子の実験等を日本発の雑誌にとりこむことが急務になっているが、両誌が別々の組織に属した現状ではその実現は難しい。特にPTPは京都ローカルの雑誌として経営基盤の脆さを常々指摘されてきたと同時に投稿数や購読数の長期低落傾向に悩んでいる。その一方でJPSJも伸び悩みの傾向は明らかであり、両誌の統合問題は生まれては消えている。近年でも2004年、2007年と統合についての話し合いの機会が持たれたが、何れも不調に終わった。

 しかしここに来て風向きが大いに変わってきた。昨年末(2008年12月)にPTP側から統合協議申し入れが出され、物理学会理事会でも真剣に検討を始めることとなり、幾つかのインフォーマルな議論や統合協議会の答申書等を経て、7月25日に20名以上の出席の下で拡大統合協議委員会を行い、統合の方針が明確に打ち出された。その方針は9月5日の物理学会理事会で承認され、ここに実質上PTPとJPSJの2013年4月における統合が決まったのである。統合方針の決定は、すでに9月11日の物理学会インフォーマルミーティングで奥田物理学会前刊行委員会委員長によって公にされており、その内容は学会ホームページから詳細を知ることも出来る。

3. 物性研究は自立できるのか

 さて本題に入ろう。「はじめに」で述べた様に現状では物性研究刊行会はPTPに全面的に依拠しており、とても自立した組織とは言えない。同様のことは素粒子論研究にもあてはまるが、素研はすでに規模を縮小しつつあり、PTPの統合をもって紙媒体を廃止する可能性もある。この状況で物性研究は存続は可能なのだろうか。

 仮に定款に基き、物性研究の廃刊を決定したとして、そもそも物性研究の廃刊は許されることなのだろうか。例えば学会が刊行している雑誌であればその雑誌の廃刊は会員への背任行為であり、許されることではない。なにがしかの任意団体の機関誌である場合も同様である。しかし物性研究は特定の組織の機関誌でもなく同人誌ですらない。むしろ物性研究刊行会という団体が発行している売り物に過ぎず、発行元の存続が危ぶまれている状況ではその廃刊を押し留めるものはない。仮にコミュニティの側から何らかの要望や存続の具体案が出れば発行を続けることは吝かでないが、現状ではその要望を受け取るルートすらなく、物性研究刊行会が、きわめて私的に論じて構わない問題と捉えることも可能である。おそらくコミュニティがしっかりとサポートする固体物理の存在が物性研究の性格をより曖昧にしている面も見逃せない。

  一方、存続が可能になるにはどういう条件が必要であろうか。現状では大雑把に約500万円弱の経費が必要であり、また一名のパート事務職員とその職員が仕事を行う事務所が必要である。仮に基研に頼み込んで一名のパートと事務所を確保したとしてもそれだけで解決するものではない。実際、現在の職員は高いスキルを持っているが、その職員を本業抜きの状態で雇用し続けるのは現実的ではない。一方、週に1日程度の仕事量では経験のある職員を新たに雇用するのは困難であり、また新人を雇用する場合でも仕事量が少なく、間隔も空きすぎるのでその新人が仕事を覚えることにも支障をきたす。したがって現在の人件費を維持したまま出版を継続するのは困難であろう。翻って、物性研究刊行会を独立の組織として強化するために正規職員をフルタイムで雇用することはもとより現実的ではない。

 仮に存続するとしても現状の紙媒体に頼った形態は時代遅れである。コミュニティの媒体として存続するのであれば、現在購入して貰っている個人及び機関にIDを発行して、その人達にダウンロードが出来るようにする電子ジャーナルとして生き残るのが適切であると思われる。勿論、紙媒体を好む固定ファンが離れる危機ではあるが、そもそも存続が危ぶまれる現状では致し方がないであろう。

4. 結びにかえて

   本稿ではまず物性研究の読者諸氏への現状報告と問題提起を行った。現状では存続のアイデアはないが、編集委員や読者諸氏の間の議論を通じて何らかの可能な方策が見つかるかもしれない。そのために読者諸氏の積極的な意見の表明が望まれる。物性研究には「ひろば」という投稿の場があるので、そこへの投稿を待っている。