ダイソン

の「宇宙をかき乱すべきか」を読了。前に2回トライしたがあまりのつまらなさに途中で挫折した。今回読んで改めて、前半の面白さと後半のつまらなさのギャップに驚く。前半はQEDファインマンの手法とシュウィンガーの手法の等価性を証明するまでは生い立ちを含めて非常に面白い。しかし後半でエドワード・テイラーに意気投合し、水爆開発やそれを利用したオリオンロケットの開発、2001年宇宙の旅への参与、その他途方もない法螺話には共感を全く覚えない。これは読み手としての想像力の欠如というより、今にして思えば明らかに間違った予見に対する白けた見方ということになると思う。そういえばダイソンのOrigin of Lifeも昔読んだが、あまり面白い読み物ではなかった。あのような天才がどうしてあんな風になってしまったのだろうか。