思えば

ここに宮下さんの後任として赴任してから十年が経った訳だ。既に退官された某先生からは「よく引き受けたな」と言われ、兄からは「すぐ出た方がいい」と言われた中、ずるずると居続けたことになる。確かに人環は組織としては不安定で、赴任直後の研究科会議で当時の研究科長が「人環は研究の場ではなく、教育サービスの場である」といった趣旨の発言をされた際にはがっくりきた。また第三専攻を作った際に部屋の問題でももめ、11時近くまで研究科会議が続いたこともあった。また赴任して2,3年経った頃には地球環境学研究科構想が持ち上がり、環境という名称が重複している人環を解体する話を本気で議論していて気が滅入ったこともあった。その案が出た当初は、僕も地球環境学研究科に移る要因としてカウントされており、先行きに強い不安を感じていた。結局、地球環境学研究科はあまり専任をおかない学堂(及び学舎、三才学林)という訳の分からないものになり人環との共存は認められたのだが、人環の解体問題はその後もくすぶり続け、最終的には物理の教員の半数は理学研究科へ移籍という形で解決を見た。勿論、それに至る道筋は平坦ではなく、摩擦の多い物であった。


移籍後は物一の人達が構成員として同等の扱いをして頂いたので助かったが、それでも遠隔地キャンパスの不便さ、本籍は宇宙物理教室に所属しながら物一の構成員である不自然さ(京も理学研究科長が困っていた)、人環棟での居候生活の窮屈さを感じざるを得なかった。特に最後のものに関しては去年から急にKUINSIIIに課金をされるようになったり、セミナー室の確保が出来にくくなったり、物理グループ消滅に伴いweb serverやmail serverが間もなく消滅し、更新されなくなったりして、居心地は急速に悪化していたところであった。

それら諸々のことを考えると今回の異動はいいタイミングであったと思う。