下北沢

従兄弟が住んでいた関係で60年代後半から70年代前半は毎年2回程は訪れたし、街の構造はある程度頭に入っている。しかしちょうど下北沢が怪しい街になり始めた頃から殆ど行っておらず90年に久しぶりに叔父さんに挨拶に行った際にその変容振りに驚いた。もともと小田急井の頭線の交叉の問題はボトルネックになっており、70年代のうちに喜多見まで複々線化する計画は専らここと成城のせいで頓挫した(梅ヶ丘は泡沫問題)。成城の方は何とか片づいたので下北沢が次のターゲットになることは自明。どういう街づくりがいいのかは分からないが、それぞれの年代のノスタルジーを満たすような解はないだろう。成城もすっかり変容した。60年代には3階建てくらいのビルしかなかったのが乱開発を経てむちゃくちゃな街になってしまった、という印象がある(ここも縁がなくなった)。